ヘロン、アル・ジャザリ、日本のからくり人形
紀元前3世紀 アレクサンドリアのヘロン
紀元前3世紀、アレクサンドリアのヘロンはさまざまなオートマタ(自動機械)を発明しましたが、風力オルガン装置において「プリミティブなカム機構」を用いています。この時代、すでにカム機構は「水車を動力とする穀物を打解する装置」として実用化されていたようです。
紀元前2世紀以降、穀物打解(精麦・精米)装置としての水車の普及
先に述べたカム機構が用いられた水車小屋(Water Mill)は、水の流れる力を動力とした「ハンマーにより穀物を打解する(つく)装置(精麦・精米 装置)」であり、人間が自然の力を用いた最初の機械装置とされています。ハンマー(杵)は、水車を動力源として回転するカムにより持ち上げられ、自重により落ちます。
およそ紀元前1世紀以降、穀物打解装置としての水車はイタリアや中国を中心に各地に広く普及していきます。穀物の打解のほか、石臼を回転させることで製粉機の役割も持ちました。
またこの打解装置は、鉱山において鉱石を粉砕する機械としても広く活躍します。
さらに時代を経て印刷が発展し製紙業がさかんになると、この打解装置は製紙材料としての植物の茎を打解する機械として用いられました。
「カム」「水車」「ハンマー」などを組み合わせて得られる産業装置としての水車小屋(Water Mill)は、長きに渡り省力化機構として、社会において重要な役割を果たしました。
12世紀アッバース朝(トルコ)で活躍したアル・ジャザリ
12世紀、機械工学者や発明家として活躍したアル・ジャザリは、著書『巧妙な機械装置に関する知識の書』においてカムシャフトやクランクシャフトについての図説を残しており、カムシャフト、クランクシャフトの発明家として知られています。
カムシャフトは、「The Castle Water Clock」という宮殿広場に置かれた「時間に合わせ複数の人形が太鼓を打ち鳴らす巨大な時計装置」で用いられています。
クランクシャフトは「Suction Pump」という弁を用いたポンプ機構に用いられています。
彼が発明・製作した機械装置は総合的で複雑な装置であり、現代の生産設備に比較できる点が特筆できます。先にあげた「Castle Clock」は、「文字盤を回転させる」「光窓を回転軸に沿って順番に開けていく」「人物像の入った小さな扉を直線軸に沿って順番に開けていく」「大きな鳥の像が金属球をボウルに落とす」「複数の人形が太鼓を打ち鳴らす」「ラッパを吹く」という複雑な動きを、水力による自動機構として実現したものです。
他にも「飲み物を給仕する人間型オートマタ」のように、現代のロボットに通じる「生活を快適にする」ことを目的とした機械を発明しています。メカニズムだけでなく生活文化的な意味での機械の有り様は、21世紀に生きる人間と機械の関係を考える際の参考になるとも思われます。
日本におけるカムの歴史(※1)
江戸時代(17世紀前半〜19世紀半ば)、時計・織機などの自動的な機械・装置の総称として「からくり」という言葉が使われていました(絡繰、機械、機関、機巧などの漢字があてられました)。「からくり人形」は有名ですが、時計等のメカニズムも「からくり」と呼ばれていました。「からくり人形」においてモーションコントロール装置として「カム」が用いられていました。「茶運び人形(17世紀)」では方向転換のコントロール用に、「文字書き人形(18世紀)」では筆を持つ手の動きが複数のカムによりコントロールされています。
7世紀(奈良時代)、カム機構を用いた精米用水車が中国から伝わったと考えられています。同時代、智踰という僧が「指南車」を製作・献上し、これが「からくり」の始まりとされています(指南車:古代中国で発明された、どの方向に移動しても機械仕掛けで常に南を指すことのできる車)。
12世紀前半(平安時代)の今昔物語集には「かんばつの年、高陽親王が水の圧力を応用したからくり人形を造って田に建てたところ『人々が興じて人形の持つ器に水を汲み入れた』為、かんばつを免れたと」いう説話があります。(※引用 日本大百科全書(小学館)「からくり」斎藤良輔)
人形回しの芸能は平安時代から発展し、室町時代には神社の祭礼等での演目に簡単な仕掛け付きのあやつり人形が出てきました。「あやつり」は「からくり」につながり、後に「座敷からくり」「山車からくり」「屋台からくり(見せ物)」として発展していきます。
16世紀半ば(安土桃山時代)、機械式時計がヨーロッパから日本に伝わります。この機械式時計の機構(ぜんまい、歯車、カム、クランク、制御装置など)は以降の日本の技術に大きな影響を与え、「和時計というより複雑な機構」として発展していきます。座敷からくりの原型のようなからくり人形も誕生し、大名道具の高級玩具の中には歯車やカムなどの部品を用いたものも現れます。
「からくりの酒運び蟹の盃台」(17世紀前半)は酒席などで使われました。蟹の甲羅の上に盃を乗せると、蟹がハサミをあげて客の前まで歩いていくゼンマイ仕掛けのからくりです。
「茶運び人形」は座敷からくりのなかでも有名です。井原西鶴(17世紀後半に活躍)は「茶をはこぶ人形の車はたらきて」という句を詠んでいます。「茶運び人形」は、客が茶碗を返すと人形がUターンし戻って来る動作が加わっており、このモーションコントロールにカム機構が使われています。
18世紀後半、細川半蔵は機械技術の啓蒙書「機巧図彙」を出版。3種の和時計と9種のからくり人形の構造等を解説し世に広めました。
19世紀前半。幼少時代、屋台からくりの魅力に魅かれたからくり儀右衛門こと田中久重は、後に座敷からくりの最高峰とされる「文字書き人形」や「弓曳童子」を製作します。「文字書き人形」においては1文字用に3枚のカムを用いました(別の文字を書く為にはカムを交換)。「弓曳童子」においては7枚のカムが用いられ、「矢をつかみ」「弓につがえ」「弓をひき矢を放つ」という非常に高精度なモーションコントロールを実現しました。
これらカムをはじめとする機械技術はその後の繊維産業などの礎となり、明治時代以降の日本産業の発展につながっていきます。
※1 参考文献
日本大百科全書(小学館)「からくり」「茶運び人形」「機巧図彙」斎藤良輔
水車に見る日本とヨーロッパの技術比較 若村国夫 岡山理科大学理学部基礎理学科(1998年10月5日受理)
九代玉屋庄兵衛講演会ホームページ http://karakuri-tamaya.jp/history1.html
ロボツト王国日本 末松良一(名古屋大学名誉教授・愛知工業大学客員教授 九代玉屋庄兵衛後援会会長) 公益社団法人日本建築家協会東海支部ホームページ
http://www.jia-tokai.org/archive/sibu/architect/2000/07/robot.htm
ウィキペディア 「からくり」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%8F%E3%82%8A